おおさわ歯科クリニック 院長

大澤 良(オオサワ リョウ)

長野県出身。
2005年福岡県立九州歯科大学卒業
同大学予防歯科学講座で研修

小学生のころ

私は長野県の人口6000人程度の小さな田舎町で高校まで過ごしました。野山を駆け巡り、自然の中で、何も考えず走り回るような子供だったかと思います。ゲームや頭を使う遊びをするよりか、友達と神社で相撲をしたり、虫を捕ったり、川遊びや雪合戦をするような日々を過ごしました。

小さな町でしたが、温泉地であり、私の父は旅館を対象としたにリネン、クリーニング業を営んでいました。人が休む時に働く観光業を対象としていますので、当然父の休日はほとんどなく、元日も仕事、お盆もGWも仕事、かといって平日も仕事、365日ほぼ休んでいませんでした。

お酒も飲まず、趣味の時間など持っていない父でしたので、周りから見たらつまらない、真面目な人であったでしょう。当時私は父と一緒に遊んだという記憶はほとんどないのですが、何回か旅行に連れて行ってもらったことがありました。特急列車で当時東京まで4時間かけ、そこから乗り継ぎを繰り返す過酷な旅行ですが、思い返すと今でも当時のワクワクした気持ちが甦ります。1泊2日の夢のような時間でしたが、夜に温泉宿で父とお風呂に入っていた際に、父が歯ブラシを始め、そこで初めて小さな義歯を見ました。私が何これ?という表情でいると、父は「お前はしっかり歯がなくならないように歯ブラシしないといけないぞ。お父さんのように入れ歯にならないようにしなさい!」と言いました。

私自身小さいかろから歯科医院に通っていました。隣町にある当時には珍しい予防を中心とした小児歯科でした。毎月のように通って当時はいつになったら歯医者来なくてよくなるの?と思った時もありましたが、今では、自分の子供を思う父や母の気持ちを感じすごく感謝しています。父が歯で苦労していたのではと思う反面、予防として歯科医院に通ったおかげで子供のころの私には歯医者=怖くない、楽しいというイメージが作られました。

父は休日がなかったので、自分は大人になったら、ちゃんと休みのある仕事をしたいと思っていました。あるとき学校で、剣道をしていた私の友達に言われたことがあります。「明日までに洗濯して準備しなければいけない防具一式を良君のお父さんに言ったら夜中に仕上げて次の日の朝に持ってきてくれた!洗濯を忘れて困っていたうちのばあちゃんが泣いて喜んでたよ!ありがとう!」

自分まで嬉しくなりました。父を自慢に思うと同時に人の役に立ち喜んでもらうことってすごいことなんだと思いました。

思春期

小学校時代とはうって変わり、友人の誘いで尾崎豊を聴きはじめ、世の中なんて…と斜にかまえ調子に乗り、いろんなものを失いました。(笑)(影響を受けやすい性格なのか、素直で真面目なのか…ちなみにバイクは盗んでいません(笑))

小学校からずっとしていた硬式野球を辞め(髪の毛を伸ばしたいだけの不埒な理由)、ふらふら遊んでばかりでした。1年後くらいに監督と父の説得で再び野球をし始め、高校は野球の強い高校に進学するも再び挫折し退部しました。周囲の期待を裏切り、自分も自信を失い将来など全く考えず、今が楽しければいいと思う日々でした。

高校2年の時に職業適性検査なるものを強制的に受けました。当時のミスチルの歌にノッテあるがままの心でマークしていった結果、1番に歯科、2番に医科と出ました。

そこから模擬試験なるものを受けるたびに歯科と医科の大学を書いてみたところ結果はE判定(無理というレベルの判定です)。今までのツケは大きく、坂道を下るのはとっても簡単で登り続けることの大変さを痛感しました。見事に予備校コースにまわり、1浪したのですが、2次試験前の大事な時期に地元長野オリンピックが開催され、影響を受けやすい私は日の丸を手に応援を続け、歯科でも医科でもない滑り止めの大学に入ることに至りました。大学に入った後、一人暮らしをする中で、何気なくTVを見ていると松坂大輔選手が「目標がその日その日を支配する」ということばを大事にしていると言っていました。自分の人生に目標がなくそれでは結果が出ないんだとスッと心に入ってきたのです。そして次の日です、またTVを見ていると今度は高橋尚子選手が「結果の出ない冬の日は下へ下へと根を伸ばせ。やがて大きな花が咲く」と言う言葉を大事に励んでいたと言っていました。目標を持って日々をこなし、失敗や挫折は前に進む要素として前向きにとらえるんだ!と背中を押された気がしました。その日に再受験を決心し翌年九州歯科大学に入学しました。

大学時代

歯科の勉強ができると心躍らせて北九州にやってきました。九州人の人柄、食べ物、お酒、風土に魅せられ、勉学とクラブ活動、バイト、遊びと非常に充実した日々を過ごしました。クラブは硬式野球部に入り、全国の歯科学生が集う1年に1度の歯学体(オールデンタル)での優勝を目指し、野球選手かのような高いモチベーションで励みました。5年時には主将になり団体を治めマネージメントすること、その大変さを学び、現在に生きていると思います。

コンビニ、居酒屋、家庭教師と多方面のアルバイトを行うことで、社会勉強になったのはもちろん、いろいろな人へ言葉と気持ちを伝えることの大切さを学びました。

かけがえのない大切な先輩、友人、後輩と出会い、そのほとんどが今でも深い付き合いです。

私の時代は国家試験が非常に難しくなった時代ですが、大学時代にもう一度戻りたいくらいです。

大学時代

1列目真ん中10番です

卒後の歩み

卒後、九州歯科大学の予防歯科学講座の大学院に進学しました。歯科治療は感染症であるにもかかわらず、削って埋めて、冠を被せて、歯石を取ってというだけでは原因にたいするアプローチが欠けており、真の健康につながらないと感じていました。口腔内の細菌検査の研究を吉田明弘先生(現松本歯科大学教授)のご指導の下学び英語論文も吉田先生のお力添えあって仕上がりました。このころから菌に対するアプローチを常に考えるようになりました。

その後、佐賀県の多久市にあるうえつはら歯科医院(SJCD International所属)で勤務医として技術的な指導を受けました。その後は長野県の無歯科医村の診療所で受付と私一人ですべて取り仕切る大変さを経験しました。その後北九州市に戻ってきて、八幡西区にあるいしもと圭歯科医院で勤めました。技術はもちろん歯科医療への情熱、向学心、多くを教えていただき、笑顔あふれる歯科医院を創りたいと思うようになりました。

おおさわ歯科クリニックを開業して

2013年3月に小倉南区中曽根で開業いたしました。

私の目標は2つあります。

  1. 歯科医として人に喜んでもらうこと
  2. 人々が歯科医院=行きたい場所になるようにすること。(予防を充実させなければ本当の健康にたどり着けないという観点からも痛いときだけの歯科医院でないようにしたい)

 

小学校の横に開業したのは、私がそうであったように小さいころから予防の意識を持って歯科医院を好きになってもらいたい願いがあります。(スウェーデンでは歯科医院は行きたい場所の7位だそうです。日本は下から数える状況でしょうか…)

私が小学校の頃予防で通った歯科医院に怖いイメージは全くありませんでしたが、大学時代に親知らずが痛んで行った歯科医院は非常に怖く感じました。なぜでしょうか?

おおさわ歯科クリニックは疾患に対して原因へのアプローチを行います。削って埋めて冠を被せても、また歯石だけとっても、その時は良くても繰り返すことが多く、真の健康にはつながらないと考えています。なぜそうなったか、どうしたらそうならないかを考えることが医療の本質で大切だと思います。

そのためコミュニケーションを大切に、しっかりとした説明を行います。

初めての場合、説明と検査にお時間をいただくことが多いです。

むし歯や歯周病に関しては菌へのアプローチをすることが多いです。きれいな菌のバランスがお口の中で創られれば、腸までつながる体もきれいになり当然お体が健康になります。

不正咬合(歯並び)の治療もなぜそうなったか、原因へのアプローチを必ずします。前歯を使ってかぶりついているか、舌が正しく機能しているか、頬杖、指しゃぶりなど隠れた悪い癖がないか常に確認していきます。

噛めない状況になっている場合の機能回復は優先して行いますが、その後メンテナンスをすること、繰り返さないように、これ以上悪くならないようにすることを重視しています。

おおさわ歯科クリニックは皆様にお口から始まる健康、豊かな人生を創っていただけるよう日々研鑽に励んでいきます。

おおさわ歯科クリニックはそれを望む意識の高い方々と共に歩んでいきたいと考えています。

おおさわ歯科クリニック 入口